僕の趣味が行き交う街

僕の趣味に関するエッセイです!

"在るべき姿"というペルソナが自らを罪で燃やして灰にする

思い込みを破壊する 自己肯定

生きづらい世の中・・・。

現代はそういう社会だという風潮。

生きるということは他人と関わるということで、自分一人の思うがままに振る舞えるものではない、という意味で『生きづらくて当然』だと思います。

 

それはさておき。他人がどうのこうの以前に世の中を生きづらくさせている存在。

『自分はこういう風に生きなくてはいけない』という呪縛。

今回はこちらの焦点を当てたいと思います。

結論から言うと”自分で自分を苦しめる”という悲惨な状況が当たり前に起きている。

 

自分に課したルール。例えば『自分は勉強が出来なくてはいけない』とか『自分は仕事がバリバリに出来なくてはならない』とか。

そういうルールを課した上で、そのルールを守れていない時に人は自分に失望すると思います。

『俺ってなんて駄目な奴。』『このままでは駄目だ。』『早く何とかしないと。』

それがカンフル剤となって前向きに努力を出来る時は良い状況だと思いますが、自身の限界を超えて傷つけられてしまうこともあります。

自分が作り上げたルールという鎖に縛り付けられて傷ついていく・・・。

こうなってしまうと自らに課したルールは足枷でしかなくなってしまう。

 

対処策としてはそういったルールを撤廃してあげることですが、たちの悪いことにそうした自分ルールという物は意図的でなく無意識的な物であることが多い。

望まずして自分の理想像を掲げて現実の自分とのギャップに苦しんでしまう。

他者からのイメージとか自己実現の夢とか、自分の望む在るべき姿というのは本来は夢幻に過ぎないものだと思います。

別にそうであることを法律で定められている訳でもないし、破ったからと言って世界の秩序を乱すようなものでもない。

人の生き方は自由であっていい。

しかし、人は自らが作り上げた妄想によって自分を苦しめてしまう。

在るべき姿で在れない時、無意識的に心を傷つけてしまうのです。

 

大切なのは認識することだと思います。

①自分を傷つけかねない自己イメージが存在し得るということ

②その自己イメージに忠実でなくとも良いということ

③わざわざ①②によって傷つく必要はないということ

 

定期的に自分ルールの存在を意識してみる。

存在するようであれば自分ルールが不要に自分を苦しめていないか確認する。

もし苦しめられている場合は自分ルールを改変するよう努める。

 

人生の意味とは・・・??

とは誰しも考えることだと思いますが、『個人の人生に意味など無くて良い』と僕は思っています。

意味なんて無いのだからこそ、その人生を生きる人が自由自在に意味をカスタマイズしても良い。

自分自身の定めた不要なルールで自分を傷つける必要なんてあろうはずもないのだ。

捨てることで解放されるものもある。自分の中では自由に生きたいですね(^^♪