今やインターネット上には無限に情報が広がっていますね。
正しいことも間違っていることも爆発的に交差しています。
知識の量が人間の価値を決める時代は既に終わっていて、今の時代では情報を集めるスピードや方法論、あるいは適切な判断力こそがオリジナリティのある能力となっていますね。
情報を運用するという意味では難易度は増すばかり。
切り捨てなければいけない情報も沢山ありますし、客観的な視点を持つことが出来なければバイアスにかかった状態で情報を集めてしまいます。
ツールそのものには善悪の概念は無いと思います。
ネット記事とかYouTuberの主張とか、それらのツールは道具の域を出ない。
いや、むしろ言いたいのは『ツール以上の神託として扱ってはいけない』ということ。
例えば友達と喧嘩している時に相手を論破したくてネット検索で情報を漁り、『ほら! かの有名な○○さんもこう言っているぜ!!』とかしてはいけない。
○○さんが正しいとも限らないし、それが検索者の状況と完全に一致しているかは別の話である。
そういう感情的な時の検索方法にはバイアスがかかっていて、自分にとって不都合な情報は目に入れないようにしている可能性も高い。
そのような状態でドヤって勝利宣言でもかまそうものなら人としての信頼を失いかねない。
これは本当に大真面目な話である。
当たり前のような話に思われるかもしれないが、このような行為が繰り返されてきた歴史は非常に長い。
インターネットが発達する以前から『権威付け』という名前で行われてきたのだ。
『あの高名な□□先生が言っておられるのだ!!』ってな具合で。
政治に勝つために天皇様による文書を必死にかき集めていた時代もある訳だ。
まあ、これからもこういう時代は続くとは思う(^^;)
果たしてそれで良いのだろうか??
大切なのは自分を持つことだと思います。
情報が氾濫する時代だからこそ、自分の信念に従って情報を選んで利用する。
時には自分に合わせて情報を昇華させる必要もあるだろう。
目に見える情報をそのままで終わらせてはいけないのである。
自分を持てない人間はネットの化身になってしまうかもしれない。
ネットの情報をコピペして自分を武装して、飲み込まれて怪物になってしまう。
定型句で人を襲う人間は・・・めちゃくちゃ多いです。悲しい。
『勉強会とか無いかなー』って思って調べていたら色々と情報が引っかかってくるんですが、勉強会という言葉に脊髄反射して叩いている人とかいた。
SEGAが公開している勉強会の情報に『ヒット作が出せないくせに』とか叩いていて悲しい気持ちになった(-_-;)
何が悲しいって論点が全く合っていないところ。
・・・と言いながら僕自身が論点がずれていたな(^^;)
大切なのは情報を咀嚼すること。
自分の血肉とするためにカスタマイズする意識を高く持つ。