僕の趣味が行き交う街

僕の趣味に関するエッセイです!

言葉とは人に伝えるために在り、そして技術を保存するために在る

仕事 文書に残す 意味

文字は物凄い発明だと思います。

ただし、それを僕は使いこなせていない・・・という話。

 

以前の仕事は本当に属人化してて、リリースとかデータリカバリ時の手順を残すという規則はあったものの実行している人は少なく、その中でも僕は真面目に残している側ではあった自負がある。

(何故ならばその仕事を辞める意識がそれなりに長期間あったから)

 

しかし、形骸化した規則の中で独自にやっていたこともあり、誰かに伝えるための文書としては情報が足りていなかったと思います。

僕が見れば理解できるけれども、他の人が見ても同じように解釈してくれる保証は無い。

仕事のスキル的には下手糞そのもの、ってことですね(^^;)

 

誰が見ても同じイメージを持つことが出来る。

というのがビジネス文書における最低限のラインでしょう。

ま、知識の有無ばかりは個人の努力に依存するのでアレですが。

知識が最低限にある人が見れば同じ状態へと持って行けること。

 

そのためには客観的な視点で自分の文書を見る力が要りますよね。

自分の書いた文書が上手く出来ているかを評価しないといけない。

さらには読み手側の視線もイメージできなきゃいけない。

とは言っても独力で完璧になる必要は無いけれども、それでも人前に出して恥ずかしくないレベルには持って行けないとね。

 

関係あるようで無いかもしれないが、最近はビッグデータに関心を持っている。

データとは本当に面白い物で、無形の現実を有形の事実に変換する力を持つ。

データにすることで初めて分かることってありますよね。

 

例えばテニスとかでサービスのコースとかショットの比率とか速度とか・・・

印象で語られていたプレースタイルがデータによって普遍的な事実として浮き彫りになる。

そうすることで情報をより現実に基づいて他者と共有することも出来る。

 

ビッグデータの面白い所は色々とあると思うけれども、AIとも切り離せないですよね。

入力を機会に任せることも出来るし、何だったら分析も任せることが出来る。

それを然るべき人が情報の取捨選択をすることで価値ある商品となる。

人間は知的作業に集中できるように技術が進化している。凄い。

 

冬季オリンピックを観ていてスケートボードで空中をクルクルと回る選手を見て驚く。

あんな動きは僕には出来ない。

・・・が、それを出来る人間がいるということは、それはつまりそれは人類の力ということでもあり、僕としても誇っていいことのような気がする。

その人並外れた動きを実現化させている感覚的部分なものも情報として共有できるようになれば、人類の進歩は更に飛躍的に進むだろう。

この瞬間にこの筋肉の順番で力を増幅させれば技が成功する。

と、文字にすると途端に習得が難しくなる可能性もあるけれども、その情報を文字ではなく感覚として共有する技術が生まれたらどうだろうか??

高レベルなプレイヤーが量産されれば、人類の平均レベルも引き上げられることは勿論、そういう技術もさらに進化することは間違いない。

 

そう、情報とは誰かと共有されて何ぼなのである。

今の僕は文字を使うくらいしか能が無い。

でも文字を使うことで共有できるだけの能力は最低限ある訳だ。

それを無駄にしたくない。

と、グダグダと言ってみたが・・・要はレビューに屈さず文書を修正するぞ!ってことだね(笑)