昼ご飯を食べる時などにワイドショーを見る。
そうすることで一つ問題が生じる。
提示される話題の"真実"に興味が湧いてしまう。
・・・その話題自体には興味が無いにもかかわらずだ(-_-;)
- 誰々が誰々に何々をした。
- これこれの人間関係がこじれて水掛け論をしている。
- どこどこであれあれが暴れている。
・・・etc etc
正直、興味は無いし持つべきでもないと思っている。
しかし困ったことに目に触れてしまった以上、真実を知りたくなってしまう。
ただね、ワイドショーというものは困ったことに報道したニュースについて責任を持とうとしない。
彼らはその場限りの好奇心を対象に放送するだけで、その後の真実を伝える努力は基本的にしていない。
だから僕が真実に到達することは基本的にないのだ。
・・・数年後に自分で調べれば別かもしれませんけどね(^^;)
まあ、それは全然良いんですけどね。
その後の真実まで全て追跡して報道していたら人・物・金が足りない、というのは当たり前の事実として認識しています。
だから僕はワイドショー自体を見るべきじゃないんでしょうね(笑)
基本的に全て僕の人生に関係ないことですからね・・・。
そもそもそこまでマジになって見る物でもないのかな(^^;)
普段あまり見ないだけに目に入ると気になってしまう俗物なんですよ僕は。
ここで更なるそもそも論を展開!
答えが出ていないことを専門家を交えて「ああだこうだ」と議論することにはまだ価値があるとして、それを報道することにどれだけの価値があるのだろうか??
"○○という事実があったのでしょうか??"
というテーマだけでダラダラと話を引っ張る。
そして絶対にその場で紡ぎ出されることはない結論。
・・・って愚痴で締めくくりをするのも勿体ないですよね。
(何が言いたいのか分からなくなってきたぞ)
ワイドショーの存在意義の是非はさておき、視聴者の興味を惹こうとする構成については一見の価値があると思います。
最近の僕は今後の仕事のために雑談力の強化(人間関係の構築)をテーマとしています。
他愛のない内容で会話のラリーをすることで、根本となる人間関係を醸成し、その先にある仕事も円滑に進める。
ワイドショーの在り方というのは雑談力の強化のために活かせそうな気がする。
ワイドショーの特徴を個人的にまとめてみると、
- 他者の興味を惹きやすい最大公約数的な内容を取り扱う
- 結論が出なくとも推論によって議論を行う
- 対立構造を作為的に作り出す
かな、と思いました。
こうしてみると僕が勉強している雑談力とも通じる所がある。
『対立構造を作為的に作り出す』って言うのは参考にしない方が良さそうですけど(笑)
○○という形で観る人の興味を惹こうとしているんだなぁ、とか、△△という部分に人は興味を持ちやすいのかな、など色々と参考になります(^^♪
ワイドショーというものは非常に長く実績のある番組構成ですからね。
その作り方には必ず経験則(視聴者の動向)が活かされているはずですから!
そうやって考えてみるとワイドショーを勉強することにも意味はありそうだ。
今まで雰囲気でやり過ごしてきた雑談というものをテクニックとして体系化しようとしている僕にとっては教材の一つである。
でもなぁ、見るとそのニュースの真相に興味を持っちゃうんだよなぁ(^^;)
と最初の話題に堂々巡りしてしまいますね。
真相なんてその場に居合わせた本人にしか絶対に分からないのにね。
科学捜査とか裁判を経由することで事実に限りなく近づくことは出来たとしても、それはもう既に真相ではなくなっているんですよ、ええ。