会社の同僚にギャンブル依存症の人間がいる。
少なくとも僕から見れば間違いなく依存症の人間である。
しかし本人に言わせると依存症ではないらしい。全然違うとのこと。
外と中からの認識で全く程度の具合が異なっている。
ちなみに僕がパチンコをしている人の全てを依存症だと思っている訳ではない。
趣味の範囲で留めている人もいる。
僕が同僚の彼をギャンブル依存症だと思っている理由は下記の通りだ。
・仕事が終わった後は高確率でパチンコ屋に行っている
(時間的に行けない時を除くと80%は超えていると思う)
・休日はほぼ間違いなく打ちに行っている
・パチンコのせいで毎月お金が無いと言っている
・使ってはいけないお金までパチンコにつぎ込んでいる
逆にどこをどう解釈すればギャンブル依存症以外に思えるのか不思議である。
ちなみに彼はパチンコだけでなくソシャゲのガチャにもハマっている。
この前は何かのイベントで9万円くらいつぎ込んでいたらしい(^^;)
良い年したオッサンが毎月毎月「お金が無い」とほざいている。
給料日の次の日くらいには言っているから借金もこさえているのかもしれない。
これはもうギャンブル依存症で間違いないのではなかろうか?
ただ、本人に言わせると違うらしい。
彼だけでなく依存症の人間ってそういう節がありますよね。
何らかのプライドがあるんでしょうね。依存症だと認めてはいけないのだろう。
人に迷惑をかけなきゃ何をやっても自由だけれども、出張のためのお金が足りないとか言って誰かに借りていたりするからたちが悪い(-_-;)
何度言っても分からない。だから彼はもう駄目だと思っています。
このまま同じことを繰り返して堕ちていくのでしょう。
本人もそれでいい、みたいなことを言っていましたし(-_-;)
僕としては他の人が同じことにならないように願うばかりです。
例えば彼の後輩とか。幸いギャンブルとは無縁そうだから大丈夫だと思うけど。
よく一緒に打ちに行っている彼らはマズいかもしれない。
僕から見て趣味で抑えてやれているとは思うけれども・・・。
まあ、彼が悲惨すぎるから逆に抑止力として役立っているかもしれない。
ギャンブルとかソシャゲとかに金を使うのは自由だけれども。
投じた金額に自分が納得できるかどうか?
に常に意識を向けてほしい。
余ったお金の中で楽しむ分には全然かまわないと思う。
でも自分の生活が脅かされるまで投じる価値があるのか?
ひりつくとかいう言葉に酔っているだけなんじゃないか??
を自問自答するべきだと思います。
まあ、既に依存症になってしまった人には難しいと思いますけれども。
依存症って言うのは意識の問題ではないですからね。
本気の依存症になってしまったら治療が必要ですから・・・。