僕の趣味が行き交う街

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パワハラか微妙なグレーライン達への一個人の見解

パワハラ 定義 分からなくなってきた

パワハラの基準が分からなくなってきた。

何となくパワハラとはこのような物だろうな、というイメージがありました。

理不尽な要求を感情を載せて部下に延々とぶつけているような。

権力を盾に不正な要求・言論をすることなのかな、と。

 

まあそれらがパワハラなのは言うまでもないこととして・・・

パワハラのハードルというのはもっと低いところにあるようだ。

僕が思うよりももっともっと低いところ。

 

そもそもパワハラとは面白いもので、客観的に観測される事実ではない。

受け取り手がどのように感じるのか、という主観が大きく反映される。

仕事を例に挙げてしまって大変恐縮だが、愛のある指導と思って行っている行為が相手にとって不快な物であればパワハラに認定される。

(まあ、その理屈は分かりやすいけれども・・・)

 

この時に問題となるのが、受け取り手の未熟さによってパワハラと認定されているのではないだろうか??だと僕は思う。

これ、絶対に無いとは言い切れないはずだ。

いや・・・もっと言うなら受け取り手の悪意によってパワハラと認定されるケースだってあるはずだ。

 

こういう言い方をすると本当にパワハラに悩んでいる人から抗議を受けそうだが、指導する側にも言い分という物がある。

正しく部下を想って諫めたつもりがパワハラ認定されて周りから冷ややかな目で見られてしまう。

それを悲劇というのではないでしょうか??

 

まあ、これが時代の移り変わりというのものなのでしょう。

若者の感性についていけない指導者は罰せられてしまうのですね。

良くも悪くも今の世の中は『人を守ろうとし過ぎている』と思いますね(^^;)

別に守ろうとすること自体に不満はありませんが、社会が一個人に対して行うべきことは『守られなくても自立できるように導く』ことなのではないでしょうか?

 

仕事で嫌な思い、辛い思いをさせられたとしたら、次こそそのような状況に陥らないように努力をするのが普通だと僕は思いますが、そうでない人もいる。

『自分は辛いんだ!』と周りに知らしめて外的要因を叩くように仕向ける。

これはハッキリ言って赤ん坊のやり方と同じと言わざるを得ない(笑)

 

やれパワハラだ何だと騒いで労働者を守ろうというスタンスは『社会が腐っていっているなぁ』と思わざるを得ない。

野生の世界で『俺は腹が減っている。腹を空かせている世の中が悪い!』と騒いでいたら誰かがその命を差し出して空腹を紛らわせてくれるだろうか??

いや、そんなことはありえないだろう。

まあ、これは極論かもしれないけれども(^^;)

 

例えば自分の好きな人がいるとして、どれだけ努力をしたとしても自分に振り向いてくれる素振りが一切ないと仮定する。

そんな時に『こんなに努力しているのに俺に振り向かないあいつが悪い!』と主張するアホがいますでしょうか?

その姿を見て周りの人が『ちょっとはあいつのことを好いてやりなさいよ』なんて言ってくれるだろうか??

当然、そんな馬鹿な光景はありませんよね(笑)

周りの人は『諦めろ。他にいい人がいるさ。』と言ってあげるでしょう。

 

全部が全部そうとは言いませんが、今の世の中にはびこるパワハラ論には上記のような気味の悪さがあります(-_-;)

あくまでも個人の思想です。

批判せずにこういう考え方もあるのだな、と流してもらえるとありがたいです(笑)

 

先にも言った通り、明らかなパワハラという物は間違いなく存在します。

そんなものは我慢する必要が一切ない。さっさと逃げましょう。

でもグレーラインのもの。受け取り手の感性次第なパワハラに対しては考えを改めても良いと思います。

何でもかんでも人のせいにせずに自分の成長も考えようよ。

 

おわり。