僕の趣味が行き交う街

僕の趣味に関するエッセイです!

【テニス】壁打ちしてたら悟りかけた話

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言葉にすると陳腐になりそうで怖い。

壁打ちしていたら悟りかけた。あれは正に体験。

今、この場での再現は出来ない、あの場所あの時のものだ。

 

これまでの僕のテニスは自分の肉体とか精神が主役だった。

ただ、あの場では僕自身は一要素でしかなかった。

僕の腕があり肘があり手があり、そしてその先にラケットがいる。

ラケットが在る為に僕があり、ラケットを活かすために僕が動く。

だからと言ってラケットだけではテニスとはならず僕がいて打球が生まれる。

 

『一は全。全は一。』ってことか・・・?

ラケットと一つになる感覚が実感としてあった。

 

さらに突き詰めると、向かってくるボールがあって僕とラケットが迎えに行って、そこから打球が生まれる。

僕が足を動かして作ったスペースにボールを迎えて打ち放つ。

ボールをとらえるタイミングによって打球の威力にも差が生まれる。

僕とラケットとボールだけじゃない。

時間も空間も含めて一つになってテニスになる。

 

図らずも僕の唱える『フォームなんてどうでも良いんだ理論』を裏付ける形になった気もする。

テニスのフォームなんてほんの一要素に過ぎない、というかむしろ重要なのはボールに対してラケットがどのように運動するかなのである。

フォームなんてものは後から勝手についてくる。

そこにリソースを割いてしまうとテニスのバランスが崩れる。

 

って言うと何か違うんだよなぁ・・・(~_~;)

一気に陳腐になってしまった気がする。

自分の理論に落とし込むと矮小化してしまう。

 

五感を使い、体を動かし、時を読み、場を読み、ボールとラケットを感じ取る。

そしてそれらの要素を融合することでテニスが生まれる。

如何に自分が邪魔をすることなく一つとして調和するのか。

 

自分が、自分が、自分が・・・ではなく、一要素として出しゃばらずに全体を為そうとする気持ち。

バタフライ・エフェクト。

調和して生み出される事象、その要素に感謝の意が自然と生まれる。

 

言葉にするとこんな感じ。

でも・・・違うんだよなぁ~~~~!!

近しいことを言っている気がするけど、なんか微妙に違う。

そもそも言葉というものは現実のことを表現するのに便利な道具ではあるけれども、現実との親和性は100%ではないし、たぶん高くても80%程度のものなんですよね。

言葉では完全に言い表せないものもある。

そうなると・・・それはもう体験するしかない。

 

もっともっと壁打ちをしていたかったなぁ。

対人のテニスから得られるものも勿論あるけれども、あの絶妙に心地よい空間は"壁打ちをしている時"しか僕は知らない。