僕の趣味が行き交う街

僕の趣味に関するエッセイです!

【瞑想】己の不要概念を剥ぎ取っていくと何が残るんだ?

瞑想 結果

瞑想をする時、何を目指しているか?

 

僕の場合は精神の不要物を削ぎ落とすイメージで行っている。

「他者にどう思われているか?」とか「不安な気持ち」とか自分ではどうにもならない外的要因そのものとかそれらに対する執着を自分の身から切り離す。

(いわゆる自分に負をもたらす物でしょうか)

 

その次に自分の妄想とかの自分の中から湧いてくる精神的な物を切り離す。

なくしてしまうのではなく、自分から距離を置かせる。

それらの感情を眺めるように努める。

 

そこまで到達できれば御の字だが、そこまで完璧に行けたとしたら・・・

その次に自分の感覚に取り掛かると思う。

 

要は順番だ。

自分から遠い順にドンドンと内側に向かって切り離す作業を進める。

 

と、すると・・・その作業を突き詰めていくとどこに到達するのだろうか?

というテーマ。

 

キャベツの場合は簡単だ。

外側からドンドンと剥ぎ取っていけば芯が残る。

で、あれば僕の場合は何が残るんだろうか??

 

勿論のことだが答えは分からない。

瞑想を極めてしまった人は自らの命さえにも執着しないとか。

とすれば、剥ぎ取りを着き進めてしまえば、肉体はおろか命さえも残らないのだろうか。

 

と、すると・・・もしかして答えは『何も残らない』なのか??

いや、それは自分という存在に固執しすぎかもしれない。

 

僕の主観から見れば命さえも残らないのは『何も残らない』かもしれないが、客観的に見ればそれはおかしな話だ。

僕の肉体や命が消滅することは『取るに足りない』ことだと思う。

 

そこに残る何か・・・

物質でも無ければ一個人の精神や生命ではない。

何かを見つけるために瞑想をするのかもしれない。

いや、そもそもそこまでを目的とする必要は無いのかもしれない。

 

ただ単に一個人の瞑想家がそこまで考えるのは越権行為かもしれない。

しかしだ・・・だからこそ自由に瞑想して良いとも言えるのかもしれない。

 

いやいやいやいやいや。

考えるべき所がズレてきている。

 

己を中心に外側から剥ぎ取っていくと何が残るのか??

問答はそこに尽きるはずだ。

 

・・・分からない!!

老師様の"道"という言葉が僕の邪魔をする。

(失礼なことを言ってしまい誠に申し訳ない)

 

中途半端に"道"という言葉を知っているからこそ、そこに寄りかかろうとしてしまう。

本質を見ようとしていない。

"道"って何だったっけ??という考えに寄り添ってしまう。

 

答えを他者に求めるな!!

俺が見つけろ!!俺だけの答えを!!

 

考えていきたい。これからも。

自分の感覚を信じて瞑想道を極めたい。