世の中、何が正しいのかなんて分からない。
核兵器の存在を取ってみても一目瞭然だ。
立場によって是か非か両方とも存在する。
自分がどの立場に沿って考えるかで答えは変わる。
絶対の判断基準なんて存在しないと言ってもいいだろう。
そんな世の中でも確かな物が一つ。自分の感情。
客観的に見て良いか悪いかはさておき、自分にとって快か不快かは存在する。
ならば、開き直って自分の感情を判断基準にしても良いのかもしれない。
悩むとするなら、後になって後悔しないかどうか、くらいではなかろうか?
自分が許せないと思うのなら敵対する。
自分にとって都合が良いから黙認する。
どうでも良いから記憶にも留めない。
何が正解か分からないのが真理なのであれば、自分の考えを誰かとシェアすることは諦めて独善的に判断を下したって構う物かという理論。
誰かに咎められたとしたって「だから何?」ってなものだ。
実際、多数決という物は正しい選択法のように振る舞っているが、少数派を一掃してしまう危険な選択法であるとも言える。
大多数が間違っていたのならどうするつもりなのだろうか?
だったら、自分の都合を優先してしまっても良いじゃないか。
まあ、上記のような振る舞いをしていると「あっ」という間に淘汰されてしまうでしょうけどね(笑)
それに判断を誰かに委ねるという選択肢もあります。
貴方の考えに従うから責任は貴方がとってよね、という手法だ。
楽ちんだけれども無責任だし他力本願なのは否めない。
結局のところ後悔してしまうことになるかもしれない。
(そのために神という落とし所があるのかしれませんね)
自分で選びなさい。
ただし落とし前は自分でしっかりつけなさい。
大人になるとはそういうことなのかもしれない(^^;)
後悔をしないための判断基準。見つけたいものですね。