不思議でしょうがないことがある。
なぜ、世の中から理不尽はなくならないのか?
・・・いや、その表現は少し違う。
なぜ、世の中は理不尽に溢れているのだろうか?
だっておかしいじゃない。
理不尽を強いて一体何の得があるのか?辛いだけじゃないか。
・・・ん?
あれ?何か引っ掛かるぞ(´・ω・`)?
あ。そうか。
理不尽を強いて得する人がいるんだ!
なるほど!! 完!!
・・・って、中々笑えない状況だと思うんですよね(笑)
理不尽を振りかざして得をするというか、楽をしようとしている人がいるんですよ。
(碌な物じゃないよ、本当に)
例えば世界に理不尽が一切ないフラットな環境があるとする。
多くの人が無理を言わずに穏やかに暮らしている奇跡の世界。
その中に、たった一人だけ、ほんの少しの我儘を言い出す人がいる。
周りの人に小さな小さな理不尽を振りまいている人がいるとする。
その人の理不尽に応えようとして無理をする人がいる。
そしてまたその人も余裕がなくなり、生きるために他者に理不尽を押し付けてしまう。
今回だけ、1回だけ、と・・・。
そんな人が複数出てきて、波及効果的に理不尽が広がっていく。
いつしか世界の皿には収まりきらない量の理不尽が生まれ出す。
理不尽が理不尽が呼ぶ。狂気の世界。
始まりはたった一人の小さな我儘だったのに。
プラマイゼロの世界は簡単に崩壊してしまいました、とさ・・・。
『この世に理不尽なんて無いよ。気にしすぎ(笑)』
って言う人が仮にいたとする。
貴方は深夜のコンビニを使用しないだろうか?
または救急車を利用することは一生ありはしないだろうか?
・・・それらのサービスも、他者に無理を強いて成り立っている。
人間が便利や安全・安心を追い求めた結果だろう。
まあだからと言ってそれらのサービスを撤廃しろというつもりも無い。
助け合うことで成り立っているのも自然界の定めだ。
しかし、過剰に求めすぎることで人間界全体の余裕はトータルでマイナスになっているのは間違いない(-_-;)
一旦、ちょっとした我慢、というか求めすぎないことを提案したい。
・・・いや、分かっていはいる。
そんなことを言っていれば経済は衰退するのだ、ということは分かる。
(経済学なる物を齧っていたこともある)
しかしね。学問の中で定説を繰り返すことにも意味が無いだろう。
いや、違うな。かっこつけてるな。
経済なんてどうなろうがどうだって良いじゃない!
実のところ。他人を言い訳にするな!
大切なのは自分の視界に映る世界の幸せ、ではないだろうか?
それ以上の幸せを求めるというのは余りにもオーバーキル。処理できない!
個人の幸せは個人で守ろう!
という訳で、まずは理不尽を他者に要求するのは止めよう!
(理不尽の無い世界に住むために・・・!)
・・・という話。