僕の趣味が行き交う街

僕の趣味に関するエッセイです!

"当たり前"という気持ちに感謝の心が塗りつぶされていく恐怖

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『君って感情が無いよね』

 

と言われて(辛辣だなぁ・・・)と思いながらも、ドキリとすることがある。

社会の歯車として成長していく中で、"感謝"という概念が薄れている気がするのだ。

 

いや、そんな表現じゃ生ぬるいのかもしれない。

果たして僕は本当に感謝をすることが出来ているだろうか・・・?

 

基本的にお礼を言うことは抜かりが無いはずだ。そこは気を付けている。

でもお礼を言う時に本当に感謝の気持ちを込められているのか、は疑問だ。

もっと言うのであれば感謝を抱いているかさえ怪しい。

 

やってくれて当たり前。

それくらいは出来て当然。

 

・・・そういう言葉が胸中に浮かんでいる訳ではないけれども、誰かが自分にしてくれたことに対して感動を覚えていることも無いと思う。

新鮮な気持ちを失ってしまい、機械的に仕事をこなしているのではないだろうか?

 

話は仕事に留まらない。

 

家族や友達が自分のために時間を割いてくれていること。

動植物の生命を糧に命を永らえていること。

先人たちのたゆまぬ努力の上に生かされていること。

 

本当はそれらの事実に対して僕は感動を覚えるべきなんだと思う。

最近の僕は何だかスルーしがちだけど、限りなく失礼なことなのではないだろうか?

 

それなりに長く生きてきて、多くの経験をしてきたからこそなのだろうか?

感動をするということが少なくなってきているような気がする(-_-;)

 

でもそれは本当は経験が積み重ねられていることが原因なのではなく、経験の積み重ねによって僕が傲慢になっているからだと思う。

 

初心に帰らなくてはいけない。

 

自分の周りで起きる物事を右から左に受け流していてはいけない。

その事象の意味を、背景を、物語を感じる努力をしなくてはいけない。

 

自分にもたらされたものに対して感動をする努力(っていうと語弊があるけど)をしなくてはならない、と強く想っている次第です。

 

実際、大人になって色々なことが自分で出来るようになりましたので、それに伴って心の中のハードルが上がってしまっていると思います(-_-;)

でも、それって非常に醜いことなのだと思うんですよ・・・。

 

自分の持つ能力によって左右されていいことではないように思うのです。

フラットな気持ちで考えれば自ずと感謝が湧いてくるはず。

 

そう考えれば、明日もするべき仕事があるということは幸せなことなのだと思います。

日曜日の夜は社会と会社への感謝を込めて。

 

前向きな気持ちで朝を迎えたいですね(^^♪