ふと、気づいたことがあります。
近親者の『何気ないアドバイス』に対して物凄くイラっとしている自分。
こんな始まりで語るのも筋違いな話だと思いますが、僕は自分自身のことを結構温厚な奴だと思っていました。
友人や職場の人に結構いじられることが多いのですが、大体のことは笑って流していると思います。
『お前、アホだろ』とか『それは社会人としてのどうなのよ?』とか
(言われることはまず無いけど)『ふざけるな。ぶっ壊すぞ!』とか、
他人から上記のようなことを言われても全く心は痛みません。
僕に限らず多くの人がそうだと思います(-"-)
しかし、相手が他人ではなく近親者になると話が変わります。
話の内容が建設的で前向きなアドバイスだったとしても、心に来るものがある。
他人に厳しいことを言われても気に留めないのに、近親者から言われると有益な言葉でも不条理にむかつくことがある。
・・・何故だろうか?
僕の出した答えはこうだ。
『心の距離の近さ故に、言葉が深く突き刺さる』
例えばですが、10m離れたところでナイフを振り回されたとする。
(これは友人や職場の人のいじりの例えだ)
10m先でどんなに切れ味の鋭いナイフを振り回されたとしても僕からしてみれば痛みなど発生し得るはずがない。
仮にナイフを投げつけられたとしても、流石に避けることが出来るだろう。
次に、傍にいる人がナイフを振り回したと仮定する。
(今度は近親者のアドバイス、あるいは苦言の例えです)
答えは考えるまでもなく激しく痛いことになるだろう。
同じナイフを使ったとしても、心の距離次第で致命傷にもなり得る。
僕の言いたかったことの半分が上記に集約されています。
近親者の優しさや心配、あるいはQOLの向上に端を発する言葉だとしても、心の距離が近すぎるせいで思いもよらぬダメージを受けることがあるのだと思います。
この事実を知っておくことは非常に大事なことだと思いました。
発信者には当然相手を傷つけるつもりなんて無いだろうし、上記の自覚が無ければ受信者はよく分からずにダメージを負うことになる。
それが一体何を意味するのだろうか・・・?
悲劇の始まりだ!!!
ここまでで僕の言いたいことの3分の2を言い終えました。
心の距離の近さが思わぬダメージを生む。
そしてそのメカニズムを知らないと悲劇が生まれる。
訳も分からないままに心のすれ違い生まれてBye,Byeなんてことになりかねないし、親子の心のすれ違いで絶縁なんかにも至りかねない。
(その程度で済むことさえも不幸中の幸いなのかもしれない・・・)
『心の距離の近さが予想もせぬダメージを与えることがある』
この事実を知るべきなのは、発信者なのか受信者なのか?
ケースバイケースな問答ではありますが、僕の考えはこうだ。
発信者:受信者 = 3:7
言葉の受け取り手が自覚する方が重要だと考えています。
何故なら心の痛みなんて結局は自分にしか分からないことなのだから。
非常にシンプルな理屈だと思います。
心の距離の近さが思いもよらぬダメージを与えてしまったとして、その事実を確実に察知できるのは言葉の受信者だけなのだ。
そりゃまあ発信者が受信者の様子を見て察知することも出来るでしょうが、それは流石に甘えと言う物でしょう・・・(笑)
何より確実性が無い。
だから受信者が『心の距離の近さに不意に傷つくことがある』ことをしっかりと自覚して、自分自身の心のケアをしっかりと行うことが大事なのだと僕は思う。
発信者も理解していれば鬼に金棒、まさに怖いものなしですね(^^♪
さーて、僕も他人事ではないので何とかしなきゃ・・・(笑)