先日、友人の結婚式に参加した。学生時代の旧友だ。
結婚式で幸せそうな友人や花嫁様を眺めていると、自然と二人の幸せを願い始める自分がいることに気づく。
願わくば『彼らの人生が健やかで幸せなになると良い』なぁ、と祈る・・・
ふと、気づく。祈るって・・・何に対して?
上記のような気持に偽りは一切ない。本当に幸せになってほしいと思っている。
友達ってそういう物だよなぁ、と思います。
でも僕は神様というのは象徴的な物であって実在している存在ではない、と割り切っていますし(だからと言って信仰自体を無駄だとは思っていない)、仮に神様が存在するとして我々人間に益も害ももたらしてくれはしないだろうと考えています。
神様ってそんなに人間本位な存在ではないだろう?というスタンスとでも言うのか。
でも、僕が祈りたいと思ったのは事実なのです。
じゃあ、それは一体何に対してなの?・・・という話。
ちょっと考えてみましたけど、それは『流れ』に対してでしょうか(-"-)?
時の流れや人の流れ。色々な偶然やタイミングが交錯して紡ぎ出された結果。
そして友人たちは結婚をした。
これからも変わることなく時も人も機会も流れ続けるのだと思います。
それは誰の意志によって決定づけられるものじゃないと思いますし、反対に全ての人の意志が絡み合って築き上げられる過程と結果ですよね。
全ての人が関わっている(関わろうとしないという形であっても)にもかかわらず、誰もが思いのままに動かすことが出来ない『流れ』。
だからこそ、そういう性質があるからこそ。
これからの友人達が進む『流れ』が幸せなものになるように願う。
別に友人だけに限った話では無いけれども。
僕の考える祈りというのはそういう物かな、という話でした。
考えすぎると良くないかもですね(笑)