『コンフォートゾーン』という言葉をご存知でしょうか?
『コンフォータブルゾーン』とも言いますね。
直訳すると『快適な領域』なんですけれども、上記の言葉を用いる場合は
心理的な意味を指すことが多いですね。
つまり、心理的に快適な領域・・・言うなれば手慣れた作業でしょうか。
今回のテーマは、コンフォートゾーンを抜け出す経験の重要性についてです。
■心理的に快適な領域とは?
例えばスポーツをする時、試合の時は自分の慣れ親しんだスタイルで臨みたいものです。
その慣れ親しんだスタイルのことを『コンフォートゾーン』と言うことが出来ます。
別にコンフォートゾーンでプレーすることは悪いことではないのですが、
慣れ親しんだ領域でのプレーはどうしても安心感がありますからね。
その状況に甘んじて、新たな挑戦を拒んでしまうことは非常にまずいことだと思います。
コンフォートゾーンを抜け出す意識は常に意識するべきです!
・・・と言われても「確かにそりゃそうだ。以上。」ってなもんでしょう(^^;
ですので、私の体験談をここで一つ。
■ボレーが怖いからストロークにしか取り組まなかった
僕はボレーに対する拒絶反応が凄く強いプレーヤーだったと思います。
反応があまり速くないですし、身長は低くリーチも短いですし、
ボールタッチもセンスがあるとは言い難いものでした。
ボレーが苦手と言うには十分すぎるほどの条件だと思います。
だからストロークにこだわっていました。
ボレーに向いていない自分はストロークに特化することが効率的なんだ、
と信じてプレーしていた訳です。一応サーブとかも頑張ってはいましたが。
つまり"ボレー以外のテニス"が僕にとっては安心できる領域、
コンフォートゾーンだった訳ですね。
相手のドロップを何とか前に詰めて拾って、その次にはくるりと
踵を返してベースラインまで戻って、次のストロークに備える。
そしてまたドロップを打たれると必死こいて前に行く・・・(笑)
今思えば「アホだなぁ」というスタイルなのですが、
当時の僕にはそれがストロングスタイルだったのです。
■コンフォートゾーンを抜け出す決意
きっかけはとても些細な出来事だったと思います。
後輩との練習試合か何かで『トップスピン及びフラットストロークを禁止』
という縛りプレイで試合に臨んだ時だったと思います。
(決して相手をなめている訳ではないですよ。練習の一環です。)
ストロークだけにこだわってプレーをしてきた僕からすれば、
自分のプレースタイルの核を封じられている訳ですから
無理やりにでも普段行わない手札を切っていくしか無い状況です。
スライスショットだけでは当然攻め手にかけるので、
普段ではありえないサーブ&ボレーも選択肢の一つでした。
自他共に『ボレーが下手』と認めている僕ですから、
いきなりのサーブ&ボレーなんて上手くいく訳がないと思うでしょう?
実際、いきなり華麗にボレーを決めてみせた!なんて奇跡は起きませんでした(笑)
しかしここで一つだけ気づいたことがありました。
『俺がネットに出た時、相手のミスが多くないか・・・?』
そう、下手くそボレーヤーの僕であっても、
対戦相手にとっては前に詰められるだけで十分にプレッシャーだったのです。
(対戦相手は僕のことをあまり知らなかったでしょうから尚更ですよね。)
僕のボレーを何とか避けるために相手は必死に僕を避けるように打ち、
それがミスショットを連発させるし、「ミスしてはいけない」という
プレッシャーが僕にゆるーいチャンスボールを与えてくれたこともありました。
そんな時には流石にビシッと決めてどんどんプレッシャーをかけていきます。
正直、縛りプレイという言い訳もあり、ボレーを恐れることなく
ガンガントライできていたというのも良かったんだと思います。
■自分のボレーにも使い道があったと"初めて"気づいた
『前に詰められるだけで対戦相手にはプレッシャーとなる』
こんな物は別に特別なことでも何でもありません。一般常識とさえ言えます。
テニスに限らず、選択肢は多ければ多いほど相手を迷わせるので有効ですよね。
しかし当時の僕にとっては、それらは全く響くことの無い事実でした。
テニス雑誌を見ても、テニス漫画を見ても、部活の皆も言っているし、
憧れのフェデラーも加齢につれてボレーの頻度を高めていました。
しかしそれらの事実は僕にとっては全く信じられないことでしたし、
立て板に水という感じで、見えてはいても認識は一切していませんでした。
『そうは言われても俺にはボレーなんてあり得ないし』でスルーしてました。
それが無理やりボレーを使わざるを得ない状況を経験することで、
ようやくボレーの重要性を身をもって経験し、信じられるようになったのです。
一般常識のはずなのに、僕にとっては青天の霹靂!
コンフォートゾーンにしがみついていた僕の世界が拓けた瞬間でした。
■結局、自分で体験したことでしか真実には到達できない
世の中にはありがたい言葉がありふれていますが、
その真意を汲み取ることは非常に難しいです。
どんなに意義のある言葉でも、自分にとって興味が無ければ
右から左へ受け流してしまうのが人間という生き物なのです。
だからこそ自分自身で体験をする回数を増やしていくべきではないでしょうか?
自身の経験を以てして強烈な学びを得ることが出来るのです。
そのために『コンフォートゾーンを抜けようとする意識』を
常に持っていくべきだと思います。
自分の手慣れた世界を抜け出して経験することで、意外な気付きを得られるものです。
■まとめ
『慣れない領域を経験することで目から鱗が落ちる思いをすることがある』
というお話でした。
それも、当たり前のような事実にさえ経験なしの知識だけでは気づけない、ですよね。
この話自体も『そりゃそうだよね』って思うだけで終わってしまうかもしれませんが、
似たような経験がある人だったら分かってくれると思います。
コンフォートゾーンにしがみついてばかりでいると、
目の前の現実すら認識できないことがあるのです。
(嘘のような本当の話! 恋は盲目、とも少し似てるかも?)
反対に言うのであれば、コンフォートゾーンを抜け出して得られる
ちょっとした気づきで劇的に進化できる可能性も残されているのかもしれないですね(^^♪