周囲からの期待がプレッシャーや重荷になることって、ありますよね?
人からの期待って悪意がある訳でもないので、中々逃げ場も無いんですよね~。
素直に言うとめちゃくちゃ誰かに弱音を吐きたかったりする。でも駄目。
今、まさしく僕も苦しんでいることでして、対処法を考えています。
実験段階ではあるのですが、僕と同じ方法が合う人もいるのなら役に立つのではないかと思います(^^♪
1.期待によって追いつめられるということ
仕事に限った話ではないのですが、期待をされると辛い時があります。
反対に周りからの期待が力の源になることもあります。(応援とか)
それらの違いは、『自分がやりたいことかどうか』ではないかと思います。
自分のやりたいことと周囲の期待の方向性が一致していると力になるし、反対にそうでもない時は重たい枷になってしまいそうです。
僕の場合、『期待が重たいな~(-_-;)』ってなった場合は気分が鬱蒼となります。
何もやりたくなくて気持ちがふさぎ込んで体も重たくなります。
(もう俺に関わらないでくれ…)なんて、中2病が危ぶまれる思考パターンに至ってしまうこともあります(笑)
2.周りに期待することをやめてもらった方が良いのか?
つまり僕の気分が落ちるのは、僕に期待をする周りの人が悪いんだ、という精神。
だとしたら周りの人に頭を下げながら
『すみません期待するのやめてもらっていいですか?』
とか言い回れば効果があるのか、ということ。
多分これは意味が無い。
周囲の期待を材料にプレッシャーを生み出しているのは、まぎれもなく『自分自身』だと思いますから。
周りの人に期待をされている⇒だからそれに応えなきゃいけない。
⇒期待に応えられない自分が情けない⇒もっと頑張らなきゃ…。
⇒こんな状態なのに更なる期待をされる⇒もう、無理です…。
周りの人は期待を投げているだけなのに、『自分自身』が勝手に周囲からの期待に対して変換・味付けをして勝手にしんどくなっている。
周りの人にお願いして期待することを止めてもらったとしても、次に結局別の材料を見つけてきて自分を落とすように変換し始めたら意味が無い。
つまり変えるべきは、悪変換をしてしまう『自分自身』なのだ。
3.周囲からの期待を悪変換させないための対応策
これ…対策できるのか?と思っちゃいますね。だってそもそも無意識下での話だし。
まあでも原因について推測が出来たので仮説は立てられそうです。
①期待してもらえること自体がありがたいことだと意識してみる。
⇒上記については当たり前の事ではあるのですが、再認識することで目が覚めるかも。
②期待を前向きに捉えるメリットを考えてみる。
⇒状況によっては勇気とかやる気を与えてくれるはずの期待ですから、
そのメリットを強く意識してみることで変わるものがあるはず。
③客観的に心理状況を分析してみる。
⇒自分が悪変換をしてしまう過程を俯瞰的に観察してみる。
瞑想とかをする時に意識したりしますね。
④時には徹底的に落ちてみる。
⇒僕は本当にダメな時はこれをやるようにしています。落ちるところまで落ちてみる。
徹底的に落ちきってみると意外とリフレッシュになる。
当然、落ちきった後は上がるのみですしね。
4.とは言っても上手くいかない時もある…
この記事を書くきっかけになったのが、そもそも僕自身が期待によって苦しんでいるから、なんですよね(笑)
自分の感情を完全にコントロールするのは不可能ですよね。
それでも、経験を積み重ねれば自分なりの方法が見つかったりしそうな気もする。
他の方々はどのような方法を取っているのか、非常に気になります!
僕は僕で色々と試して、また報告しますね(^^)/