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コンテンツ消費速度の加速は次第に中身を失わせる

噂レベルの話だが、最近の若者はコンテンツの消化スピードが速いらしい。
動画視聴時は倍速が基本。1本あたりにかける時間を短くして次から次へとコンテンツを移動しないと、生み出されるコンテンツへの対応が間に合わないし周囲との話も合わないとか。
僕も勉強用の動画を見る時は倍速とかするけど、若者の場合は映画とか楽曲も倍速で見るとか。
勿論人にもよるだろうけれども。

情緒もへったくれもない。
とは老害おじさんこと僕の言葉である(笑)
そんなスタイルでコンテンツを消費するのって本末転倒と言うか・・・
だったら最初から観なければ良いじゃない、と思う。

自分の中にある『好き』を満たすために好きなだけ時間をかけて追及するのは分かる。
一定量を消費するためにコンテンツ消化速度を上げる・・・しかも倍速とか言う本来のフレーバーを損ないかねない方法で。
会話の間とか音楽のリズムとか、本来の意味を捻じ曲げてまで消費して何か意味はあるのだろうか??

でも別に若者たちのスタイルは別にどうでも良い。
結局のところそのスタイルでの功罪を享受するのは自分だろうから。
僕が問題視したいのは作り手側への影響ですね。
今の世界のコンテンツ消化速度に合わせるとなると、一つのコンテンツにかけられるコストは間違いなく減少する。
それはつまりコンテンツの中身がスカスカになってしまうということである。

そこまで本気になって視聴しない連中に対してマジで取り組む価値が失われつつあるのだ。
ポリコレとかコンプラへの配慮ばかり進化して、むしろコンテンツの面白さの根幹にかかわる部分にかけられるリソースは失われていく一方だろう。
老害おじさんの青春時代のコンテンツが黄金期になっちゃうかもしれない。
非常に残念である。

勉強 研究 休日

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